林一記、海外から見る「日本」を学ぶ①

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10. 入出国が違法(鎖国
 1633年、三代将軍徳川家光は、以降200年にわたって続く鎖国の基礎となる政策を打ち出す。この第一次鎖国令によって、奉書船以外の渡航が禁止された。

 日本を離れた日本人には死刑が科された。また、これを密かに計画する者や海外から帰国した者も死刑の対象となった。

 一見、過酷に思える政策の背景にあったのは、キリスト教宣教師やヨーロッパ貿易商の影響力が国内を不安定するという幕府の懸念だ。1639年には第五次鎖国政策によってポルトガル船の入港も禁止された。

 日本に上陸しようとするポルトガル船は破壊され、乗員も処刑の対象となった。ただし、これはやむを得ない場合の処置であり、ポルトガル船への攻撃は実際には滅多になかった。

 意外なことに、こうした鎖国令にもかかわらず、江戸時代には海外貿易が盛んに行われていた。外国人は入国が禁止されていたが、オランダ、朝鮮王朝、明朝や清朝とは通商関係があったからだ。

 特にオランダはこの貿易から利益を上げており、ペリーによって開国が迫られるまでは、日本に上陸できた唯一の西洋人であった。