林一記、海外から見る「日本」を学ぶ⑤

6. 俳句コンテストが一種の賭け事として人気
d6afdfa8
五、七、五でなる世界的に有名な定型詩である俳句の源流は、俳諧という集団文芸にある。俳句とは違い、俳諧は本格的な芸術というよりはずっと手軽な余興であった。

 俳諧の最初の句を発句というが、俳句はこれを単独での鑑賞に耐える自立性の高い作品にしたものだ。松尾芭蕉のような俳人は俳句を芸術の域にまで高めた一方、多くの人々は室内ゲームとして熱中していた。

 俳諧が貴族階級や職業詩人以外にも広まり、やがて農民や町人にも嗜まれるようになると、前句付けという一種の賭け事興行が行われるようになる。これが大人気で、作品を募集すると、田舎の村々から数百点、ときには数千点もの作品が応募された。17世紀後半になされた京都でのある公募には1万点以上の作品が寄せられたという。

 俳人や上流階級の人間以外にも、様々な者が前句付けの公募に送る作品作りに励んでいたようで、ある俳人の日記には、女性や子供、果ては山賊まで俳諧を嗜むようになったと非難する口調で綴られている。

 こうした風潮には松尾芭蕉も感心していなかったようで、参加者を詩の世界を勘違いした者と批判している。