林一記、海外から見る「日本」を学ぶ⑨

1. 非情なる法制度

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盗人の手を切り落としたり、殺人者の首をはねたりするのは、同時代においては標準的なことかもしれないが、江戸幕府の犯罪に対する態度は実に厳格だ。

 例えば、盗難被害を報告しないことは、盗難を犯すのと同様に違法だった。盗人への流刑や死罪があったが、後の時代には額に入墨を入られるようにもなった。

 また裸にされ、3日間公衆の面前で座り続ける刑罰もあった。死罪は最も重大な犯罪にのみ適用されたが、処刑後に磔や晒し首になることもあった。なお切腹が許されたのは武士だけである。

 さらに当時の社会制度を維持するために、農民は移動の自由が大きく制限されていた。彼らが別の村へ移動できたのは、送り状という証書がある場合のみである。また彼らは着るものも決められ、苗字を名乗ることも許されなかった。武士を敬わなければならず、不敬のかどでいきなり切り捨てられることもあった。

 面白いのが田舎で行われた入れ札という制度で、放火や窃盗の犯人が見つからないとき、投票によって真犯人を決めるというものだ。このとき犯人とされた人物を弁護した者も同罪となり投獄された。

 落書起請という匿名の告発状を神社に落として、犯人を決める風習もあった。役人の汚職の告発などに一役買ったようだ。